無責任ヒーローを聴いて泣くことだってある。

 

 

 

 

 

20代後半のジャニオタな私。

 

 

ある日、車を運転しながらジャニーズの曲をシャッフルで流していた。そのときにタイトル通りのことが起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無責任ヒーローを聴いて、泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

無責任ヒーローと言えば、ズッコケに並ぶ関ジャニ∞の代名詞のような曲。

 

音楽番組で何度も歌われ、関ジャニ∞に詳しくない人もなんとなくその曲を歌えたり、「関ジャニ∞と言えば」で思い浮かぶような。

 

ちょっとおどけたように明るく勢い良く、関西人として、関ジャニ∞が歌う曲。

 

 

 

 

 

 

私にとって、もしくは、私以外の人にとってもそうかもしれない。

 

「泣ける曲」の類ではない。

 

なぜかって、当時、カップリングやアルバム曲に他に「泣ける曲」があって。シングルになるような曲は関ジャニ∞の明るくて楽しいイメージを象徴していて、関ジャニ∞らしい曲」という範疇を超えなかったからだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの底抜けに明るい曲で泣けたのには、多分わたしが十五祭のことを、ふと、思い出したからなような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくぶりに、エイトのコンサートに行ったのが十五祭だった。

 

ここがこうだったから好きで、とかひとつひとつ丁寧に考える隙はどこにもなくて、「ただひたすらに楽しかった!」というのが感想。

 

 

 

 

 

改めて、

 

今、コロナ禍の今。

 

このことを振り返ると、「ただ楽しい」ということがめちゃくちゃ貴重で大切で、最高に幸せなことだと思わされる。

 

今や、楽しいことは制限され、楽しいことをするときには、頭の片隅に不安や心配が浮かぶ。

 

 

 

 

 

それを抜きにしても、大人になった今、誰かの顔色を伺うことが増えて、自分の心のままに楽しむようなことが減った。

 

すごくすごく楽しい気分でも、浮かない顔の誰かが近くにいたら、空気を読んで、平然と過ごさないといけないような。

 

 

 

 

 

昔思っていた、「エイトにはもっと良い曲いっぱいあるのにな〜〜」なんて考えは、浅はかだったなあ。

 

いや、良い曲がたくさんあるのは事実だけど。

 

 

 

いろんなことを背負って乗り越えて、その上で、アイドルとしておどけた顔で笑ってくれる関ジャニ∞は最高で。

 

関ジャニ∞が歌う「底抜けに明るい曲」の価値を知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楽しくて楽しくて、ただただ楽しくて明るくて、いつでも、いつもの笑顔が思い浮かぶ曲。

 

ついつい踊り出したくなるような曲。

 

口ずさむときだって、こちらもいつもより随分と明るい調子で歌いたくなる曲。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君の人生は誰のもの?

 

 

 

 

 

 

 

そうだよね、そうなんだよね。

 

自分の気持ちを大切に。

 

 

 

難しいことは無しにして。

 

自分の人生。

自分の楽しいを優先しよう。

 

 

だって、何も考えずに、誰のことも気にせずに、「楽しい」と思えることって、そうないから。

 

 

 

 

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