担当の定義(2)
以前も考えたことのある「担当の定義」について、改めて考えてみました。
最近ものすごく、
「自担を好きって声を大にして言いたい!」
みたいな気持ちが強くって。
いや、まあ、ものすごく普通のことを言っていますね、オタクですからね、当たり前ですけども。
こういうブログもそうなんだけど、
舞台やコンサートの後に、言いようのないときめきをどうにかこうにか絞り出して言葉にすることとか。
気持ちの変化を書き留めておくこととか。
何かと、言葉にしたい欲が高まっています。
担当が増えたり、自担への気持ちを掘り下げてまとめたり。
本当にいろいろな場面で、「言葉にすることを選んでいる」と気付きました。
そこで、ハッとしました。
こんなに、気持ちを言葉にしたいと思うのは、自担に関わることだけなのかもしれない!
ということ。
自担とそうでないアイドルとの「違い」に注目すると、自担ではないアイドルに対しては、「かっこいい!」「顔が好き〜〜!」などなど。(改めて言うことでもないな…)
その瞬間に感じたことをパッと言葉にする感じ?
逆に自担はどうかというと、
「この気持ち忘れたくない!!」とそのとき感じたことを新鮮なまま言葉にしたくなる。
…のは、前者と同じなんですが、すぐに言葉にするスピード感だけではなくって、
「なるべく掘り下げて」「丁寧に」
という気持ちが強くなる。
自担含め、好きなアイドルについて「ヤバイ」に全ての感情を託すことが多々あるけれど、それをやめたくなることがある。
初めて自担の主演舞台を見た瞬間。
少し悔しいけれど、やっぱり好きな気持ちが勝った瞬間。
自担の成長に胸いっぱいになった瞬間。
などなど。
自担を応援していると、本当にいろいろなことがある。いろいろな気持ちになる。
そのひとつひとつを、忘れずに、大切にとっておくために、出来るだけ掘り下げて言葉にしたくなる。
後から、ああこんな気持ちだったんだよな〜〜と思い出して、今と変わらないなあとか、ここは変化したなあと思いたくて。
あのステージを見て私はこんな風に感じたんだよなあ〜〜と、自分の受け取り方を振り返りたくて。
つまり、自担に対しては、より掘り下げて丁寧にときめきの気持ちを言葉にしたくなるんだと思います。
担当の定義について。
これまでは、「ジャニーズでいることを諦めたくない人」だと思っていました。
それは今も変わっていないけれど、かと言って、もしも万が一のことがあったときに、手を離してしまうのかと言われればそれも違う気がする。
まあ、「私的にはこうあってほしい」という理想論に近いところがある。
ということで
今回改めて考えた定義は、
「『好き』の気持ちを、自分の言葉でカタチにしたい人」。
自担のことを好きな人、応援している人、知っている人。いろいろな人が、パフォーマンスや発信する言葉etcを受けて言葉にする。
それを見て、「なるほどたしかに」と思うこともあれば、「私はこう思うなぁ、こういう考えもあるんだ!」と思うこともある。
そのどちらであっても、自分の解釈を通して言葉にしたくなる。
逆に言うとそれを繰り返して、「好き」を深めている人。なのかもしれない。